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ちなさんの場合 

6月15日 午後7時23分 男の子を 産みました(笑)
その日は朝の10時に病院に入って、手続きをした後、子宮口を開く薬を子宮につめて、そのあと、病室で浣腸・点滴をして、
そのまま陣痛をまってました。
暫くは、ふつ〜に軽い生理痛がある程度で、2時半頃に、子宮に詰めてたものをとりだして、
3時頃、陣痛らしきものが2〜3分感覚でおきました。
だけど、全然生理痛とあまり変わらなくて、6時半に「分娩室に行きましょうって」言われても、
『え?こんなんでいいの?』って感じでした。分娩室で子宮口を開く注射を2本打って、シムスの体勢になって、
赤ちゃんの回旋を補助してたら、物凄い痛みが来て、
2回息んで、結局出なくて、補助してもらって3回息んで出なくて、結局 吸引してもらって 無事に産まれました(笑)
体重は 3480グラム!助産婦さん達も こんなに大きな子だとは思ってなかったらしく、頭とか色々と測りながら、
『お〜きいわね〜』って 言ってたのが おかしかったかな?(笑)
息みとかって 結構難しかったですね。
実際はどれくらいの長さか解らなかったけど、結構、長い間息を止めてたような気がします。
『うんちをしたい感じがあったら息んで!』っていわれても・・(謎) 
(どうも、うんちがしたい感じが赤ちゃんが産まれる時の感じが同じみたい)
産んだ後は、10ヶ月使ってなかった腹筋の筋肉痛や、足のだるさがありました。
やっぱり、産んだ後は 「次は無痛分娩・・」とか思ってたけど、会陰切開後の痛みとかが取れると、
普通でもいいかな?って思ってました(笑)
陣痛とか、本当に痛いのは短い時間だから、これから出産するみなさん!がんばってくださいね(*^o^*)

木曜日に退院して、やっと リズムが出来たかな?って 感じです。
名前は 『爾映(ジエイ)』になりました。
今は、おっぱいを飲んでる顔や、寝てる顔を見て、幸せを感じてます(*^o^*)


けろっぴさんの場合
2001年5月26日(土)21時51分、2266gの男の子を無事出産いたしました。
出産に至るまでは書けば長ーくなってしまうのですが、なんとか簡単に報告したいと思います。

26日は妊婦検診でした。朝から張りが頻繁にあるなぁと思っていたのですが、
前の日までウテミリンで張りを抑えていたので、その反動なのかな〜と思っていました。
検診でモニターをつけると8分間隔くらいの張りがあったのですが、
張りは弱いので陣痛ではないでしょう・・・でも近いうちに陣痛が来るかも・・・と言われました。
とりあえず、買い物などを済ませ家に帰りました。14時くらいになって「やっぱりおかしい!」と思って
間隔を計ってみると5分間隔でした。

病院に電話をすると「モニターをつけてみるので来て下さい。」と言われ、もう一度病院へ。
モニターをつけるとやはり5分間隔の張り。でも「弱いので今日中に産まれることはないですね。」と助産婦さんに言われ、
今日中に産まれないなら家でゆっくり寝たい!と思ったので家に帰りました。
ところが家につくなり激しい痛み・・・。「これは陣痛に間違いない!!!」という痛みでした。
病院に電話した時も「お・お・お腹がすごーく痛い!」としか言えず、「すぐ来て下さい!」と言われた。
旦那様の車で10分の道のりでしたが、その時にはすでに3分間隔で張りも長くなっていたので、めちゃめちゃ遠く感じました。
張りの合間に車から降り(この頃には合間も痛い)、ナースステーションに着いた時にはうずくまって動けなくなっていました。
すぐ陣痛予備室に入り、内診をすると子宮口が9cmまで開いていて、「これは今日中に産まれますね。」ですって!
15分くらい「フーフーフー」とがんばっていましたが、
がまんできなくなり、「もう産みたい!」と助産婦さんに訴えると、「それでは分娩室に行きましょう」と。
分娩室に行って助産婦さんの言うとおりの呼吸法をすると見事4回の息みで産まれてきました。

自分ではかなりの安産だったと思います。
その時は「もう子供はいらなーい!」と言っていましたが、退院する頃には「もう1人いけるかも・・・」と思っていました。

名前は「陽太」と名づけました。
産まれた時は未熟児でしたが、保育器も1日入っただけで、
退院する時は体重も2425gになって、今では3200g(2001年6月19日現在)にまで成長しました。
今週から日も明けて自宅での生活が始まり、かなり育児ノイローゼになりそうになりながらがんばっています。
妊娠している時は切迫早産で2度の入院で大変な思いをしましたが、産んでみるとさらに大変。
睡眠不足、母乳不足etc・・・不安もたっくさんありますが、
眠っている陽太を見ているととっても幸せな気持ちになることができます。

これから出産する方がんばってくださいねー。。。


やおさんの場合

私の出産までの経過は、2001年3月28日(水)に入院。
1日目は飲み薬を1時間おきに飲みました。でも、その日は全然陣痛が起こりませんでした。
そして、2日目は、点滴でした。
お昼頃から弱い張りが来ましたが、痛いときでもウトウトできるぐらいの余裕。
点滴が終わった19時30分には、少しは痛みも強くなってきましたが、子宮口はまだ4センチ。
「明日は、絶対生まれる点滴をします。今日の点滴はもう終わりだけど、
この刺激で今晩、自然に陣痛が起こったらいいね。」と先生に言われました。
そして、20時ごろには、主人や両親も帰り「3日目突入か」と覚悟を決めていました。
そうしたら、だんだん陣痛が強くなってきて、23時に看護婦さんに診てもらうと、
8センチぐらい開いていることと、高位破水していることが分かりました。
急いで家族を呼んで、24時には分娩室に入り、2001年4月30日1時7分主人の立会いのもと、
無事、莉奈(まりな)が生まれました。(3280グラムでした。)

「陣痛の痛みって出産した瞬間忘れて、次の子が欲しくなる」と聞いたことがあって、
陣痛中は、「絶対そんなの嘘だ。もういやっ!!」って思っていたのに、出産してみると「やっぱりその通り。」って思いました。
出産後、2時間分娩室で横になっていたのですが、そんな直後ですら、陣痛の痛みを思い出せない(表現できない)感じでした。


管理人さやかの場合 2000.7.20作成

平成11年12月23日、朝9時ごろ、おなかが少し痛くなり、出血する。予定日だったので、午後から病院へ。
みんなはそのまま入院だと思っていたらしいが、私は「まだまだ。。。」と思っていた。
診察の結果、「子宮口が1cm開いているので、しばらく様子を見ましょう!予定日から2週間以内の出産であれば、普通なので
陣痛が来なければ30日にいらっしゃい!」と言われる。全然陣痛が来る気配がないので、(不定期にお腹は張ってきていました。
でもお腹の赤ちゃんはガンガンお腹を蹴っていました。骨盤に赤ちゃんがおさまると胎動が減るらしいのですが。。)
実は姉とダンナさんと3人でパチンコに行ってしまいました。。。。実家では「あいつどこ行ったぁぁぁー」と大騒ぎになっていた
らしいけれど。。。。
でも2万円近く勝ってしまった!今思えばあれが人生最後のパチンコだぁ。。。


平成11年12月24日  
PM9:00   生理痛のような痛み。でもまだまだ全然平気でだんなさんと「みんなのゴルフ2」をする余裕があった。        

平成11年12月25日

AM2:05 
痛みの感覚が20分、15分と短くなってきて、陣痛だと確信。病院に連絡すると「10分間隔になったら、来てください。」と言われる。 

AM3:02 
母を起こして、ダンナさんと3人で病院に。。。病院に行く途中の道路の悪さに、「ゆっくり行ってよぉぉ。」 とだんなさんに怒る。。。
コンビニで陣痛の合間に飲むお茶を買って行く。                                                        
AM3:45  
                                                                    
入院。パジャマに着替えて、生理ショーツを着けるように言われる。内診、そして浣腸される。NST(分娩監視装置)をつけ、
陣痛室に入る。自分では10分間隔だと思っていた陣痛が「こんな痛みじゃ全然陣痛じゃないわー。
(NSTの陣痛のグラフを見ながら助産婦さん、つぶやく。)入院が早すぎたわね。」 これを言われた時は、帰ろうかと思いました。。。                                                                                   AM4:30   

1時間置きに助産婦さんが子宮口のチェックに来るのだけど、たったの2cm。「こんなに痛いのにぃぃ。。」  母はせっせと「寒くない?」と言いながら、「触らないで!」と言ってるのに、私の足の裏にカイロを貼りつけた。。。 私は「痛い痛い」を騒ぐタイプではなくて、声も出す事も出来なく、自分の髪の毛を掴んでいました。そこで母一言 「おにいちゃん(ダンナの事です)あの子、あんまり痛くなさそうだねぇ」ちゃんと見てるのかー? サッカーなんて見てる場合じゃないんだよ。2人ともソファーに座って、遠くから私を見ていました。。。(・・?)ナゼ?                                            
AM5:30 

4:30と全く変わらず、子宮口2cm。「この様子なら、出産は25日の夜になるでしょう。。」と言われ、がっくり。
お腹は今までなかった生理1年分が一気に来たように、激しく痛む。。。何故か腰は痛くない。とにかくすっごい生理痛の痛み。
暑くなったり、寒くなったり。。。のどが乾くかと思っていたら、のども乾かない。。 NSTから聞こえてくるお腹の赤ちゃんの心音だけが、励ましになる。でも、NSTが邪魔で楽な姿勢が取れない。                                

AM6:30
 
助産婦さんが内診をすると、いきなり子宮口5cmに。どうりでお腹が痛いわけだー。だんだんと意識が遠くなって  いくような感じ。痛みもだんだん長くなってきた。NSTの陣痛のグラフもどんどん大きくなってきてる。それにしても、「今のは大きな山でしたねー。」なんて
人の陣痛のグラフを見て、冷静に母と話しているダンナ。。。「居ても全然役に立たないじゃん。帰れー。」って言いたかったけど、
お腹が痛くてそれどころじゃないよー。呼吸法で「ヒッヒッフ―」をすると少しは痛みが楽になるような気がしました。 
母の「お腹空いたねー。ちょっと食べに行っても良い?」と言う言葉に「マジ??」って思ったけれど、「言って来ても良いよぉぉ。」
と言ったのが、間違いだった。一人になると、何が何だかわからなくなるくらい、お腹いたーい。。

AM7:30

一人で気が狂っている?間に子宮口6cm。母とダンナさんが帰ってきた。「結構美味しかったですねー!」
私がこんなに痛いのに。。。でも一人で気が狂っている間に心に決めた事があった。「もう駄目。無痛にしてって言って来てぇぇぇ。」
助産婦さんがやって来て「あと少しよ。頑張れない?頑張ろうよ!ね?ね?ね?」何が「ね!」だー。頑張ったんだよ―。これでも。。
だって入院案内に「無痛分娩」って書いてあったじゃんかー。しきりに「駄目です。駄目。もう我慢できません。」と言い張る。こんなに自己主張したのは初めてだったかも。分娩室に入る前にダンナさんに、姉に連絡してもらいました。立会い出産をとても楽しみにしていたので。でもまだ姉の立ち会い出産に迷っていました。だって何だか恥ずかしいような。。。

AM8:00

分娩室に入る。先生を待っている間にもどんどん子宮は開いて、7cm。助産婦さんがしつこく、「やっぱり駄目?(普通分娩)」って
聞くの。無痛分娩に切り替わったものの、陣痛をこらえながら、腰椎麻酔するのは本当に辛かった。
素っ裸で海老のように腰を曲げられ、
少しでも動くと「駄目!」って頭を下げられるし、それに、先生が麻酔のカーテルを入れるのを失敗して、2度もこれを繰り返したの。
それにしても、パジャマから手術着のようなものに着替えるのかと思っていたら、パジャマのまま分娩台に上がらされたので、
それが一番ビックリしました。麻酔が効くまで、分娩室に一人きりにさせられました。お腹はまだ痛いし、暖房もなかなか効かないし、
とても心細かったです。しばらくすると嘘のように痛みがなくなって、「あら?」って感じ。先生も「今のは平気だった?」
お腹がぎゅーっと収縮しているのは分かるのだけど、痛みは全くありませんでした。無痛にして良かったー。

AM9:45
おばあちゃん助産婦さんに「もうすぐお産が始まりますよ。誰か呼びますか?」と言われ、「姉を呼んできてください!」
あんなに迷っていたのに、人ってやはり孤独に弱いです。。。でも分娩室に一人きりは本当に寂しくて、心細かった。
姉も「あの着替えなくて良いのですか?」って聞いてる!思いっきり寝起きのすっぴん。
先生が手を入れて破水させる。

AM10:00過ぎ

「頭が下がってきました。息んでみましょう!」  『いきなり言われても、何か恥ずかしいな。よし息んだふり。。。うぅぅーん。』
「いきみが足りないので、少し吸引して手伝いましょう!」 『アララ、、、いまさら振りなんて言えないし、、、』
ドドドーと言う吸引の音と共に、酸素マスクをつけられて、重病人の気分。「いきんでー!」
って言われても、腰から下に麻酔が効いているので、息めてるのか分からない。だんだんあごも上がって来て、
誰かがあごを押さえてくれた。。。だ、誰だ?「あごを引いて!」あっ姉ちゃんだ!深呼吸しながら、思いっきり息むこと4回。

AM10:22

「生まれた―ぁぁ」って言う姉の声で、目を開けると私の赤ちゃん、生まれていました。そう、肝心なところで
息むのに必死だった私は目をつぶっていたのですぅぅ。。。赤ちゃんの第一印象は「これがお腹に入ってたの?でっかい!」
すぐに先生が鼻の羊水を吸い込むと、元気な声で「ふぇぇ―ん。」と泣いた。姉も感動して、ウルルっとしてる。
そうだ!性別は?「女の子ですよ!」やっぱりー!「初めまして!あゆちゃん。」と声をかけたら、ママになった実感が
じわじわと湧いてきました。そして、私の娘、「あゆちゃん」は沐浴室に行きました。
あゆを連れて帰ってきた看護婦さんが本当に申し訳なさそうに「スイマセン、体を洗う時に手が滑ってお風呂に落としてしまいました。
ホント一瞬なんですけど、ごめんなさい。この子、体脂がすごくて。」
なんと正直な。。。つい「良いですよ。気にしないで下さい。」と言ってしまった。あとでよく聞けば、沐浴室まで
ダンナさん、母、姉が3人で付いて行ったらしいです。母なんか「何かあってはいけない!」と看護婦さんの隣でジィーと
見ていたらしいです。そして、ツルン。母はとっさに看護婦さんよりも早く湯舟に手を入れて、赤ちゃんを抱き上げたのだとか。。
さすが!
初めて抱っこした感覚は暖かくて、ずっしりしてる。。。でも、ガッツ石松みたいだ!
そしてだんなさん、母が入ってきて、ポラロイドで記念撮影。。。あとから見るとひどい顔だったぁぁぁ。

それから、切った会陰を縫合して、2時間分娩室で様子を見て、自分の個室に帰りました。
念の為、腰の麻酔のカーテルは次の日まで入れておくそうだ。何だか寝にくそうだな。
出産が終わって、少し気分が悪かったけれど、出された食事もしっかりと食べました。確かラーメン。
姉と半分こでしたが!

PM6:00すぎ
お昼の2時過ぎからうとうとしていた。
何だか会陰縫合の跡がちくちく痛い。痛み止めを飲んだのに、全然効かない。気のせいかなぁ。。。
と思っているところに、いったん家に帰っていた姉とダンナさんがお見舞いに来てくれた。うーん、
どんどん痛くなってる。。。痛い、、、なんかおかしい。。。私で甘えん坊なの?姉とダンナさんの顔を見たら痛みがひどくなるなんて、
そうして考えているうちに、どんどん痛みがひどくなって
姉が看護婦さんを呼びに行っている間にあまりの痛さに、またもや意識が遠のいていく。。。先生が来た頃には、
声も出なかった。内診の結果、会陰縫合の跡が内出血。膣に卵大の血腫が出来ていた。縫い直しです。

PM7:00

分娩室に入って会陰を縫い直す。点滴をしようにも、血管が沈んでしまってなかなか針が入らない。麻酔もあまり効かず、お産より強い痛み。あまりの激しい痛みに不覚にも
しくしく、、、おいおい、、、わーんわーんと泣いてしまった。だって血腫を手で絞られたんだよ!信じれる?
全身汗びっしょり。終わった頃に麻酔が効いてきた。。2回目の麻酔のせいか、体全身がガタガタを震え、足に全く力が入らなく、
立てない。重病人のようにストレッチャ―で運ばれるのを見て、姉、ダンナさん、顔面蒼白。私の顔を見るなり
「大丈夫か?」とダンナ、ちゃんとしゃべっているのに、体が震えて「だ、だい、じょ、ぶ。もう、いはくないよ。(痛くないよ)」
これじゃまるでアホの子じゃ。ご飯も姉に食べさせてもらって、「こ、これ、おいふぃーね(美味しいね)」ってがっついてしまいました。


食事の後、産後は興奮して眠れないからと言って、
導眠剤をもらって飲む。でもお昼寝をしっかりしてしまったので、目はギンギン。0:00すぎに導尿(おしっこにも行けなかったので、取ってもらったの)してもらうときに「あら?起きてたんですか?薬は飲みました?」って疑われてしまった。。ちゃんと飲みましたよ。。。

12月26日

AM7:40

導尿。先生が来て歩いても良いと言われ、立ってみたけれど、かなり眩暈がした。
縫い直した傷ももう全然痛くない。

普通、産後8時間も経って内出血はしないそうです。
だからみんなは恐がらないでね!

                                                                                                  

 


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